冬虫夏草でがんにリベンジ日本編

冬虫夏草日本導入トップ03

日本初、冬虫夏草の国産栽培に成功

冬虫夏草 台湾編 中国編 > 日本編 

冬虫夏草に群がった野獣

手塩にかけた冬虫夏草20万菌床が、神戸港に到着したのは04年3月30日。通関を経て、栽培地のある高知県南国市の山中に届けられた。
事業者は大証東証1部上場企業のE社である。同社は、川浪が製造するキノコ全般の日本における貿易総代理と冬虫夏草の総発売元を担う専門の子会社・N社を立ち上げて、全面協力を約束してくれた。
また冬虫夏草の栽培は、N社が高知市のA社に発注するよう決めていた。このA社は、中国きのこ村プロジェクトに4000万円を投資して750万パックにおよぶシイタケの輸入総代理権を取得していた会社である。あのセーフガードによって1円も回収できないでいたので、冬虫夏草の栽培で収益を上げてもらおうと、川浪がE社に取り計らったのである。
いよいよ日本で冬虫夏草の栽培が始まる、そして立派に育った冬虫夏草を日本人の多くが食べてくれて、元気になってくれるはず。夢にまで見たステージに、ようやく足を掛けることが出来た。
気負った心を抑えるように大連空港を発った川浪は、福岡経由でその日の内に栽培地のある高知に入る予定でいた。
福岡空港にたどり着いたとき、通関に進む長い通路の隅っこで、淡い紺色のジーンズを着た20歳前後の女の子が座り込んで泣いているのに出くわした。
「怎么了?」
女の子は「从青島来、什么都不知道」(青島から来た、何も分からない)と、ただ泣きじゃくるのである。
結局、通関と荷物検査場を案内してあげて「何かあったら、ここに連絡しなさい」と、名刺を手渡し別れた。
わずか10分足らずの出会いである。

半年くらい経った頃だったか、日本に到着したその日だった。成田空港から東京に迎う電車の中で携帯電話に、知らない電話番号のショートメールが入って来た。開いてみると「私は日本語が話せるようになりました!」とある。
誰だろう・・・
思い出すのに少々の時間がかかったが、福岡空港で出会った女の子以外は思い当たらなかった。
立て続けにメールが来た。
「日本語の訓練になるから、メールをしても良いですか?」
やはり、通関に向かう長い通路で出会ったあの子。デニムのジャンバーを着て丸い眼鏡をかけ、涙ぐんでたあの子が、ちゃんと覚えててくれてたんだ。
「勿論いいよ、名前を教えてね?」
「にじです、空に架かる虹です」
ビックリした・・・
女の子から続いて返事が来た。
「何故ですか?」
川浪の公司は、大連市の虹源大厦34階に入る。
女の子も「虹」だなんて、驚きである。
この白亜の高層ビルがとても気に入っていたし、それに「虹のみなもと」というビル名が大好きだった。
34階の社長室、天井から床まで総ガラス張りの部屋で、東の空を眺めながら「近いうちに、ここから日本に大きな虹を架けて、健康と幸せを運んで行く」と心に決めていた。
そんな川浪が日本に着くなり、虹ですというメールが送られてきたというわけだ。
偶然だけど大歓迎だった、それからメールで交流が始まった。
「今、起きた」から1日が始まって「昼ご飯は食べた?」そして「お休みなさい」まで、毎日事細かに連絡してきてくれた。中国に帰っても、ヤフーメールで同じように報告してくれる。
そんなやり取りがほぼ半年ほど続いただろうか、いつの間にか、女の子は川浪を「父ちゃん」と呼んで、川浪は「虹(ほん)ちゃん」と呼ぶようになっていた。そして福岡空港から大連に飛び立つ際には、一緒に夕食をする親しい友、いや、父と子になっていた。
ほんちゃんの大学入試が始まる。
「父ちゃんの仕事を手伝いたいから農学部に入る」と、九州大学を受験して見事に合格。
虹源大厦から日本へと架かった虹、日本側の根元には、この子がいる。何かしら心の奥がビリビリするような、そんな期待感が芽生え、そのうえで「可愛いし優しいし賢い子だ、本当にこんな子供がいたら幸せだろうな」と、心から願うようになっていた。

日本に冬虫夏草を持ち込んで、丸2年がくる。高知南国市で行った実証試験も大成功したし、新聞などで報道されるようになってきた。しかし、その活動拠点はあくまでも東京なのである。福岡に訪れるのは年間で1度か2度だから、願ってもどうにもなるものでもないし、このままメールで交信する「父と子なんだ」と認識するしかなかった。
そんな先行きが開けた時だった。日本総代理となったE社と窓口になってくれた子会社・N社に不審な動きが見えてきた。
いつまでたっても冬虫夏草の貿易残金4000万円を払ってくれないのである。通商契約はあくまでもN社だから、社長のO氏に請求をするものの「親会社E社が払ってくれないので」と繰り返すのみである。
まさか、東証1部の上場会社が不払いなどするわけもないと鷹をくくっていたのだが、1年を過ぎるころには、川浪の公司の資金繰りにも影響が出てきた。
E社の言い分は「冬虫夏草の輸入代金の残高4000万円はN社に支払い済みだ。N社がそれを他に流用したと思われる」と繰り返し、そして、N社がそれを否定するという繰り返しである。
他にも、N社O社長は、とんでもないE社グループの裏事情を話してくれた。
「半年くらい前ですけど、同じ繊維業界のU社が、ハナビラタケという新種のキノコの全国販売権を取得したというニュースが駆け巡って株式市場が好転し、U社株がストップ高を付けた。これを知ったE社筆頭株主のYさんが、冬虫夏草で2匹目のドジョウを狙った」というのである。
Y氏は、E社に命じて冬虫夏草の輸入権利と国内総販売権を取得させ、さらに「日本で初めて栽培が成功」との情報をM新聞に流して、トップニュースにした。30円半ばだったE社株が高騰、あっという間に150円を突破。Y氏は手持ちのE社株全部を売り抜けて、巨額の利益を手にしたというのだ
なるほどな・・・
だから収穫した冬虫夏草なんて、まるで興味を示さなかったんだ。後ろを振り返ることなく、まるでゴミでも捨てるかのように高知県の山奥に放置した。
命を削ってまで開発した川浪の冬虫夏草が株価操作の道具にされた、もう許せない!
結局、致し方なく、訴訟を起こすことになる。
E社に決まっていた貿易総代理を解約し、N社に決めていた冬虫夏草の日本総販売はO社長の顔を立てて、裁判の決着がつくまで棚上げとした。
O氏は株取引のことなど興味を示さず、冬虫夏草の販売のみに固執していた。というより、N社を辞めて、自前の販売会社を設立しようとしていた。そして何かと、裁判に関係する有為な情報を提供してきたのである。
「いずれにしても・・・」と、川浪は考えた。
これからは自力で、日本の隅々にまで冬虫夏草を普及させねばならない。そのために先ずは東京に営業拠点を置いて、それから地方へと広げることが常道であろう。
「この国から癌を無くすために、自らが東京に住んで全力を尽くして働こう」と、日本法人を立ち上げる決断をした。
普及には、それなりのスタッフが必要である。今まで川浪を支えてくれた仲間、それに、東京に幅広い人脈を持つ人間も必要になる。
N社を辞するというO氏を加えるのは如何だろうか。裁判の途中なのに、こちらからスカウトするのは妥当とも思えないような気がするが・・・

川浪は先行きに、もう一つの大きなビジョンを抱えていた。それは、一人のアメリカンがもたらしてくれた地球規模の責務といってよかった。大連オフィスに訪れた男は、ロバート・オーエン。
冬虫夏草の開発に成功し、さらに、いろんなキノコ菌床を日本に提供し始めた頃、彼は「近いうちに世界は、プラスチック公害に潰されてしまう。消えてなくなるプラスチックをつくらねば、いずれ人類は滅亡する」というのである。
流ちょうに日本語を話し、言うことも正しいのだが、当時の川浪にとってはやや空想めいたところもあった。しかしながら非常に真面目だし化学にも精通しているし、青い瞳を見開いて「カワナミさん、今の地球は赤くなっています。このままでは、子供や孫たちが可哀想です。どうか、ブルー・グローブに戻してみませんか?」と訴えるのである。
ブルー・グローブとは「青い地球」という意味で、アースは地球個体、グローブは地球表面だという。ソ連の宇宙飛行士・ガガーリン少佐が、宇宙から地球を見て「地球は青かった」という貴重な体験を無駄には出来ないというのである。
オーエンの狙いは「中国で膨大に収穫されるトウモロコシで、世界が救える」という考えである。トウモロコシを生成して採れるデンプンと、従来の石油系プラスチックを混ぜて高圧連続的に混錬すれば、デンプンがα化(アルファ)して植物プラスチックになるというのである。それでフィルムや成形品を作れば、廃棄された後に生分解(土壌の微生物が分解に作用)がおきて消えてしまうというのである。自然に消えてしまえば焼却処理もいらないから、排気ガスを出すこともなく地球にやさしいと。
詳細は割愛するが、川浪はビジネスとしてではなく将来の構想として、オーエンに協力することにした。知り合いのプラスチック製造国営企業の劉総経理(社長)を紹介して、両者の合作(協業)を支援したのである。
彼は、敬虔なモルモン教徒だった。世界の民のために自分の信じる道を説いて諭して、ともに命永らえようというキリストの教えを実践してゆく。そして、中国と日本とでNGOをつくりましょう。ノンガバメントオーガニゼーションは政府の認可なしで、正々堂々と国際的環境保護活動ができます。近い将来、韓国か台湾かフィリピンを加えて、正式に3か国が連携した環境保護活動を立ち上げましょうと。
川浪は充分に活動の重要性を認識し、大連にNGO中国本部を置くことを提案。大連市ではもっとも超高層ビルの大連貿易中心大厦に、オフィスを構えたのである。
名称は「NGO BLUE-GLOBE CHINA」とした。そしてロバート・オーエンが、川浪の冬虫夏草の国際的普及に大きな夢を与えたのである。

日本法人に参加させるスタッフが固まった。
埼玉県で川浪を支援してくれたMと福岡市のT、そして高知で冬虫夏草の栽培を担当するA社社長。これに加えて前述のE社を辞するO氏と、O氏の元上司だったというK、Kの友人で税理士をしているT先生。
川浪が筆頭株主で700万円、他が50万円ずつを持ち寄って、株式会社を設立。事業の方向性は、冬虫夏草サプリメントのネットワーク・ビジネスと日本の森林に「クヌギを植える」という環境保護活動である。
それには、ロバート・オーエンの企業理念が参考になった。彼は「カワナミさん、私たちモルモン教集団は世界布教の経費を捻出するために、宣教師が自らネットワークビジネスを立ち上げます」というのである。
オーエンの活動拠点はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティで、キリスト新興宗教・モルモン教徒が開拓し建設した都市にあるそうだ。この宗教は世界布教を目指しているが、集めた信者からの寄付には頼らず、宣教者がビジネスで収益を出すことを基本にしている。世界的に展開するニュースキンやアムエーなどもモルモン集団だそうで、オーエンのグループは10万人ほどのまだ小規模な組織だという。
これから日本を含めたアジアに布教を始める予定だそうで、彼がそのリーダーだった。
「カワナミさん、日本でもネットワーク・ビジネスを始めてください。あなたのコルジセプス(冬虫夏草)を我々の普及アイテムに加えたいです」と、オーエンは熱っぽく語った。
オーエン傘下の会員1人が1ヶ月に30グラム消化してくれれば、10万人で毎月3トンほど必要となる。金額とすれば毎月1憶5000万円、年間で18憶円という巨大な消費が開けてくる。これに関連して日本でもネットワークを広めてゆけば、10万人以上の会員ができることは間違いない。オーエンの真剣な眼差しに壮大な夢を映しながら、日本からアジアに広げる活動の青写真がはっきりと見えていた。
大連に引き返して住んでいた中山区五一路のマンションを解約し、大連駅前の九州大飯店に居を移した。そして、東京を拠点にするための準備を始めたのである。

高知県南国市の試験栽培で、収穫した冬虫夏草は約5トンにのぼっていた。日本、いや世界でも類を見ない冬虫夏草の大規模栽培は、ほぼ予想の通りに大成功を収めた。
ちょうどその折、大阪を中心に多店舗展開するドラッグ・イレブンのT社長が冬虫夏草の販売に興味を持っていた。そして彼が配ったサンプルが、製薬会社準大手の山之内製薬に手渡った。それから1ヶ月後に「癌患者に試食させたところ、癌細胞が小さくなったことが確認された」という連絡が寄せられたのである。
すぐさま、T社長が動いた。
山之内製薬の取締役大阪支店長と販売子会社O社長を連れて大連に来て「是非とも、日本の販売権を弊社に」と表明してくれたのである。
大連での商談は3日間におよんだ。
山之内製薬とは「年に10トン購入する、以降は順次購入量を増やしてゆく」ということで基本合意し、近々にも川浪が東京に行って、ドラッグ・イレブンと三社契約を締結するという運びになった。
「冬虫夏草ってやっぱり凄い。日本に持って入ってまだ2年目なのに、日本普及の準備も進むし、加えて早くも5憶円という商談もまとまるのだから」と川浪は、驚きと喜びを隠せなかった。
さらに、商談をつないてくれたドラッグ・イレブンのT社長は「契約手付金5000万円を用意する。必要な時には、いつでもお支払する」と言ってくれた。
E社が発注したものが5トン、これは栽培地に置いたままだし、それに加える5トンだから、引き続いて20万菌床をA社に栽培させれば、山之内製薬の発注分が揃えられる。
契約手付金を受け取って、菌床をつくる費用として2000万円を大連に送金、栽培費として2000万円をA社に、法人立ち上げに係る準備金として1000万円ほどあれば、全てがうまく進んでくれる。
E社が支払ってくれてない4000万円も、栽培地に置いてある収穫物と相殺すれば、もう裁判なんか続ける必要もない。
先行きに、何の不安も問題もなかった。
「順風満帆」とはこのようなことを言うんだろうな、このチャンスを逃さず、会社を立ち上げよう。川浪の心は踊っていた。

大連に戻って数日後のことである、しばらく静まっていた運命の歯車が、突然と、巨大な音とともに動き始めた。その日は05年3月20日、九州大飯店2階のレストランで朝食をとっていたときだった。
福岡から観光に来ていたグループから「何だと!」という、絶叫にも似たざわめきが起きた。
「福岡が大地震だと!」
「天神のあの福岡ビルが崩れよる」
弾かれるように、川浪は携帯電話をつかんだ。その相手は勿論、ほんちゃんである。
・・・何度かけても繋がらない。
台湾大地震の生々しい記憶が、鮮明に蘇る。
一瞬にして2400人が落命し、6年間のビジネスと夢を木端微塵に打ち砕いた忌まわしき記憶。
そうだ、あの時も大連にいたんだ。
博覧大酒店で眠れぬ夜を過ごしていた時、激しい胸騒ぎに不安な思いをつのらせた、その直後に、台湾では大地震がおきた。
そしてまたも、まだ昼間だというのに激しい胸騒ぎが襲ってきている。もしや、ほんちゃんの身に何かあったのだろうか・・・
心配だった、そして神を恨んだ。
「冬虫夏草をこんなに必死に普及しているのに、何で俺の幸せを奪おうとするのか。またもや大地震を引き起こして、日本に膨らみ始めた夢までぶち壊そうなんて。何か恨みでもあるのか」
心配と不安と神への猛烈な怒りが交錯した眠れない夜が明けて、ほんちゃんと連絡がとれたのは朝10時を少し回った時だった。
「父ちゃん、アパートが壊れた。玄関のドアが閉まらないし鍵がかからないよ。水道が出ないから風呂もトイレも出来ない。苦しいよ、怖いよ」と異国の地の災難に怯え、泣きじゃくった。
「分かった、直ぐに福岡に飛ぶから」
タクシーに飛び乗って大連空港に急ぎ、11時40分発の福岡行きに滑り込んだ。
・・・福岡に着くなり、迎えに来てくれたほんちゃんに怪我がないことを確認。
「よかった・・・」
「取り敢えずホテルを2室用意するよ、立地の好いマンションを見つけるまでホテルで暮らそう」
大学に通いやすい場所にマンションを見つけ、安心して暮らせるようにしてあげよう。本当の我が子のように大切な子だから。
「父ちゃんと一緒なら何処に住んでも構わないよ」
死ぬほど不安な一夜を過ごしたのだろう、沈んでいた面持ちがようやく安心したかのように、晴れやかな表情に変わっていた。
ほんちゃんの言葉に、心が大きく揺らいだ。
福岡に住みたい、そして福岡でビジネスできたら本当の幸せがあるかもしれないな、と。
しかしながら、川浪の活動の場は東京だった。2年もかけて準備したのだから、今になって福岡に変更するなんて無理に決まっている。

JR品川駅で降りて、脚光を浴びる江南エリアの一角に活動拠点を置くことを決めた。
当地はM重工など有名一流企業のビルが立ち並んでいて、品川駅からはペデストリアン・デッキで繋がっており、傘が無くても歩いて行けた。
すぐさま法人登記に入る。
社名はロバート・オーエンが進める環境保護活動にちなんで、株式会社ブルーグローブとした。そして取り扱い冬虫夏草商品2万箱を発注して、いよいよ全国普及を開始しようとしていた。

着々と準備を進めた、ちょうどその時である。ドラッグイレブンのT社長から連絡が入った。
「法人設立おめでとう、O氏は取締役になっているんでしょうね。彼に例の契約前渡金5000万円を渡しましたから、よろしくお願いします」というのである。
川浪は確かめるために、O氏に電話を入れた。
「確かに私が受け取りました、でも、これは私の事業資金としてです。担保として、あのE社の冬虫夏草2トンを差し出す約束をしました」
話しがおかしくなってきた。
O氏は「E社にやられたのは私も同じ。だからN社として、あの冬虫夏草を押収した。そのことはE社も承知している」と主張した。さらに、N社を辞したというのは方便であって、実際には、今でもE社と協議続行しており、解決するまでは辞めることができない。
続けて「川浪さんへの貿易代金不払いの件は、E社ならびにN社と裁判で決着をつけるべき」というのである。たしかにその通りかもしれない。しかし、川浪の頭の中で積み上げていた万全の計画が、ばらばらと崩れ落ちてゆくような感じがしていた。
予想外のことが続いた。
E社N社を相手に争っていた、貿易代金請求訴訟の判決が出たのである。
貿易通商契約の当事者であるN社が敗訴し「N社は川浪に対し貿易代金全額を支払え」という一方的な判決内容だったが、E社の「代金支払い義務および連帯保証義務はない」というものである。
よく考えてみると、E社の計画通りなのだろう。
筆頭株主Y氏による株価操作の片棒を担がされたE社は、ダミー会社N社を設立して負債を背負わせ、トカゲのシッポ切りで責任の履行を逃れた。O氏も川浪も、最初から騙される役柄だったのかもしれない。
ただただ悔しかった、命を懸けて開発した冬虫夏草が多くの株主を騙す道具として利用されたのだから。

日本に冬虫夏草を持って入って、早くも3年目の春が来た。冬虫夏草10トンを山之内製薬に供給するために、残り20万個の菌床を製造。3月末には、A社に委託するために高知県の栽培地に送り込んでいた。3月末から栽培すれば6月末には5トンの収穫を終えて、ドラッグイレブンに納品できる。T社長が担保として取っている2トンと栽培地に置いてある3トンを合わせれば、大連で交わした約束は履行できる。
栽培を担当するK社長とは中国きのこ村プロジェクト以来の長い付き合いだし、株式会社ブルーグローブで、ともに日本普及を目指す同志的な関係でもあった。劇的に豪雨が降って南国市の栽培地が流されない限りは、栽培が失敗することなど有るはずもない。
川浪の日本普及にかける意気込みには、一点の曇りも見えなかった。

ほんちゃんのためのマンションは、地下鉄天神駅から5分ほどのところに決めた。福岡市で一番の商業地域にあって道沿いにブティックやレストランなど様々なショップが並び、道行く人も溢れていた。
ここなら大学からの帰宅途中に、賊に襲われる不安もないし、歩道も広いから自動車や自転車の事故にあう心配もない。
転居については、ほんちゃんの母親が運勢を計算して「将来、幸せになる転居日は4月26日しかない」と断言したことから、その日に決めていた。そしてその日は、奇しくも川浪の父親の命日である。偶然というか、何かしら川浪一族とは無縁の子ではないような、そんな想いすら感じていた。
転居の日から、すぐに生活ができるようにしてあげたい。家具を買いそろえたりパソコンが使えるようにしたり、いろんな生活用品も二人で買いそろえるというまるで新婚生活のような充実した日々が過ぎていた。
しかし、ゴールデンウイーク明けからは東京で、株式会社ブルーグローブの組織づくりが始まって忙しくなるだろう。だから、福岡に戻れて、ほんちゃんと夕食を食べるのは月に1度ほどになるのだろう。
それでも幸せだと思った。
転居の日が来た。
1ヶ月あまり暮らしたホテルをチェックアウトして、二人で歩いても10分ほどの距離にあるマンションに向かう。そして家具が並んで、飾りつけをした部屋に入った。今日から、二人の生活が始まるんだ。
そしてごく自然に、想いが1つに重なって何の抵抗もなく、ほんちゃんと川浪は一つ屋根の下で暮らすようになった。
川浪は大学1年生と結婚して、楽しい生活を送ることとなる。大地震でぶっ壊された台湾の夢、そして大地震で手にした素晴らしい新生活。
これも神のなせることなのか、はたまた、強烈すぎた川浪の「運命」と噛み合うもう一つの「運命」が出現したことによる、大きな転機なのかもしれない。
冬虫夏草から離れれば地獄、冬虫夏草とともに進めば極楽という道筋がより鮮明になってきた。


私欲に汚された冬虫夏草

株式会社ブルーグローブの組織は、代表取締役に東京在住でO氏の先輩というK氏が就任、そして川浪は取締役会長という、どちらかというと一歩退いた立場に就いた。これは、東京を営業拠点としたい思いから、川浪自身が考えた布陣である。
もちろん株式の大部分を持ち、冬虫夏草の開発者である川浪が絶対的なオーナーであることに変わりがなかった。
会社設立から6ヶ月をへて、ネットワークビジネスの基本商材となるサプリメント「蟻の冬虫夏草」が出来あがり、それを各地区に決めた幹部に送付する作業を始めたのである。と同時に、ロバート・オーエンが送ってきたビジネス書類を日本語訳して日本向きの営業システムに作り替える作業も進んでいた。
あと少しだ、もう少しで日本普及が始まる、川浪の心は高鳴っていた。
ゴールデンウイークが終わって、6月からでも縁故会員を募って、会社設立2年目となる9月にネットワークの「スタート」を切ろう。その頃には製薬会社に納入する10トンの冬虫夏草も栽培し終わってるから、株式会社ブルーグローブには4~5憶円の売上げ収入が転がり込んでくるはず。
これを原資にして、マスコミにも声をかけたり大々的なイベントを打ち、華やかなオープニング・セレモニーをするができる。それによって、冬虫夏草の知名度が一気にアップすることは間違いない。
「中国の秘境にしか存在しないといわれた冬虫夏草の栽培が日本で成功」とか「本日より日本販売を開始!」とか、声を高らかに普及開始を宣言すればよいのだ。
ところがである、一心不乱にネットワーク・ビジネスを絡めた具体的な販売スケジュールを作成し、実行に向けて組織を動かそうとしたのだが、どうも理想とはかけ離れた状態なのである。
社長に指名したK氏は赤坂のクラブに入り浸って、いつまで経っても気力が入らないし、O氏に至ってはドラッグイレブンから5000万円を着服して以来、連絡しても事務所には来ない。今から日本へ、そしてアジアへと飛躍するんだという高揚感など、まるで無縁なのである。
そして川浪も、福岡での新生活のことで頭がいっぱいだったのか、沸々と湧き上がっていた不穏な動きに気が付かなかったのである。

役員たちの反逆に気づいたのは、川浪が大連から福岡に帰った時のことである。
福岡市には、台湾に渡ったころからの古い友人・T氏がいた。それ以来、何かと協力してくれてて、福岡にいるときには一度は必ず杯を交わす深い関係にあった。そしてこの度の会社設立でも、取締役になってもらって組織のチェックを依頼していたのだが、そのT氏から「会社の金を使い込んだといって、罷免動議が出されてるぞ」との緊急連絡が入ってきた。
T氏は「川浪ちゃんが大連出張の折に、緊急役員会をやるということで行ってきた。取締役で税理士のT氏が半期の決算報告をして、川浪会長が資本金の殆どを着服していると。全取締役が一致して罷免に同意してほしいと言ってきた」とつづけたのである。
聞いた瞬間、はめられたと思った。
これはクーデターではないか。
確かに600万円近い金額は、株式会社ブルーグローブの会計から回収していた。
その内訳は、事務所の敷金及び前家賃、それに事務机やパソコンなど事務用品や備品の類、そして冬虫夏草サプリメント10000箱製造の前渡金などで、法人設立前に必要だった費用を川浪が立て替えたものである。これについては、東京在住のO氏や社長にする予定のK氏の要請で行ったことであって、内緒に進めたのではなかった。
これらの金額は、資本金が会社口座に移行された段階ですぐに、社長・Kによって、会社口座から川浪口座に振り替えられていた。
でもこれは正当な行為であり、資金繰りから見ても近いうちに冬虫夏草サプリメントの縁故会員からの払い込みも始まり、それに加えて、冬虫夏草収穫物を製薬会社に納入して数億円という売上げが上がる。このこともO氏やK氏はよく知っていたはずだ。
それなのに、誰が何のために罷免動議を・・・
結局、罷免に賛成したのはO取締役、K代表取締役、T取締役会計士、そして残念ながら埼玉の古い友人だったM取締役の4人で、その持ち株数は合計しても20%に過ぎず、いわゆるクーデターは失敗したのである。
それにしても・・・
何故に、K氏やO氏は負ける喧嘩をあえて選んだのだろうか。持ち株数では川浪が70%を所有していることから、議決権は圧倒的である。そのうえに、川浪と争っては、冬虫夏草の1片といえども手に入らない。それをよく承知しているO氏が、このクーデターを主導していたのだ。
その時点では、さらにその奥底にひそんでいた大きな謀略の全貌が見通せなかったのである。

クーデターの第2幕が始まった。
T氏と会ったその直後に、ドラッグイレブンのT社長より緊急連絡が入った。
「高知で栽培しているA社が、製薬会社研究開発部に冬虫夏草を売りに来た」と慌てていた。
10トンの冬虫夏草を栽培して、これをトン当たり2万円で売却したいと。品質についてはすでに研究開発部で検査済みである、というのである。
川浪は、すぐにA社のK社長に連絡したが電話はつながらない、何度かけてもつながらない。
そんな馬鹿なことがあるはずもない。K社長は中国きのこ村プロジェクトで4000万円の出資をしたがセーフガードによる貿易問題でシイタケを受け取ることが出来ず、大損をしている。その損失を、川浪と一緒になって冬虫夏草の栽培で儲けて、埋めてゆこうとしているのに、いったい何を考えているのか。
その上に株式会社ブルーグローブの役員に取り立てられて、これから日本そしてアジアに向けたネットワークが始まろうとしている。これを実現させれば、栽培も一手に引き受けることが出来て膨大な儲けにつながるのに、それを棒に振るというのか。
最悪なのは、キロ当たり2万円という価格である。川浪がキロ当たり5万円、10トンで5億円で話を決めていたのに、その半分以下という売値を研究開発部に提示しているという、この価格差について製薬会社も対応に苦慮しているという。
心血そそいで完成させた冬虫夏草、それが、わずか2万円という通り相場になると、普通のシイタケやシメジのように儲からないビジネスになってしまう。儲けが出ないと売るものも力が入らないから、目標とする日本の津々浦々まで販売するパワーが失せてしまう。何としてでもこのビジネス、A社の思い通りにさせてはならない。
すぐさま東京に戻り、警視庁に伺う。
「弊社役員が商品5億円を弊社の販売先に直接、持ち込もうとしている」
応対してくれた警部は「窃盗ではなくヨコ(横領)ですな。実行したら直ちに動きましょう」と、キッパリと犯罪だと断定してくれた。
「警視庁に被害相談に行った。A社が冬虫夏草を製薬会社に持って行くと横領で警視庁が動きます。製薬会社にはくれぐれも相手にしないように伝えてください」と、ドラッグイレブンのT社長に連絡。
悲しかった、情けなかった。
長年にわたって、全力で誠心誠意の付き合いをしてきた、いわば同朋ともいえる男を訴えねばならない。そうしないと、冬虫夏草を普及させる主導権もなくなるし販売価格も地に落ちる。
「汚れた冬虫夏草だね、このビジネスはいったん飛ばしましょう」
製薬会社に絶大な信用を誇るT社長は、その方が次に繋がるという判断をして、合意寸前だった三社契約の破棄を申し出ることになった。

クーデターの全貌が見えてきた。
その発端は、O氏の方向返還である。冬虫夏草を独占して独自の路線に進もうとする川浪より、冬虫夏草の在庫を抱えているA社を選択したのである。
A社と組む方が早くゼニになると読んだO氏は、先ずは元先輩であるブルーグローブK社長を泣き落として取締役税理士のT先生を懐柔、続いてA社K社長に耳打ちした。
「現時点で冬虫夏草10トンは会社のもの。これで会社が消滅したら、10トンの冬虫夏草の所有者はいなくなる。その場合に、K社長が栽培したとして製薬会社に持ってゆけば、買ってくれるはず」
一発勝負なんだから思いっ切りダンピングして交渉すれば、製薬会社としてもよい話しだ、と。
その話に、K社長は乗った。
次の仕掛けは、川浪の留守を狙って役員招集。集まった株主・取締役に、T税理士から出金明細表を示して「川浪会長が資本金の殆どを食った」と言わせば、誰もがそれを信用する。
そこで「川浪会長を罷免して、その上で、全員が取締役を辞退しよう」と提案。さらに「会社に残った資産は売却処分するとして、株主の損害賠償に充てる」と述べたそうだ。
川浪が不正によって罷免され、つづいて残った全取締役が一挙に辞任した場合、川浪は代表取締役ではないから次の取締役会を招集することが出来ない。取締役がいないから取締役会が開かれないとなると、次の代表取締役の指名もできないのだから、実質的に、株式会社ブルーグローブは消滅してしまう。
罷免された川浪を除く全取締役から、宙に浮いた資産の売却について委任状を取りつけておけば、O氏とA社が正々堂々と10トンの冬虫夏草の売却に携わることが出来る。
製薬会社には「株式会社ブルーグローブが消滅したので、栽培者として冬虫夏草をお届けした」と言えば十分に筋が通るし、ドラッグイレブンからはすでに頭金の5000万円を受領しているのだから、全量を収めて残金1億5000万円を集金すればよい。
誰からも文句の言われない、完全犯罪が成立するのである。
恐るべき日本のビジネス・・・
過去、12年にわたって台湾人、中国人と一体となってビジネスに取り組んできたが、このような醜い人間に遭遇したことはない。
まず最初に輸入窓口をすると言ったE社のK社長、そして日本総販売を決めていたN社のO社長、そして冬虫夏草の栽培を委ねたA社のK社長。それに加えて株式会社ブルーグローブの社長に据えたK、取締役税理士のT氏。
日本に帰って取り組んだ人間の殆どが、川浪の感覚とは違っていた。金太郎飴と言われるように、どこを切っても同じスタイルを貫く川浪に対し、最初は穏やかに語り、楽しく酒を酌み交わして友人関係を深めると、次第に周りを己のグループで囲み込み、最後に完膚なきまでに背信する。
この巧妙な手法によって、E社には貿易代金4000万円、販売価格が5億円にものぼる冬虫夏草、日本普及のために設立した株式会社ブルーグローブ、脚光を浴びる江南エリアに開いた日本事務所を失い、そして最も大きな損失が、日本に来て最初の取引で「汚れた冬虫夏草」という汚名を着されたことである。

日本普及ビジネスの失敗によって、他にも数々の障害が派生していた。その第一は、大連港の通関にかかる問題である。インボイス(貿易書類)に記載された輸出額とそれに見合う入金額を取りまとめる貿易収支で大赤字が生じており、これを解消しないと新たな輸出ができないという事態となっていた。その額、およそ300万人民元(4500万円)にのぼる。
しかしながら、E社の貿易不払金は裁判で勝ったものの、E社の連帯責任まで問うことが出来なかったため回収の目途が立たない。
株式会社ブルーグローブに輸出してA社に納入した冬虫夏草の菌床代金も、A社らのクーデターにより未だ回収できずにいる。
何とかしなければ、菌床ビジネスも冬虫夏草の日本への普及も全てが潰れてしまう。
川浪にとって、大きな方向返還を決断すべき時が迫っていた。日本に冬虫夏草を持って入った時から貯め込んでいた現金は、完全に底をついていた。
大連の公司事務所も、お気に入りの虹源大厦を解約して小さなビルに移り、ロバート・オーエンと始めた中国NGO活動も中断して、大連世界貿易中心大厦を解約して職員を解雇。
活発に展開していた菌床ビジネスも、全てをストップせざるを得なかったのである。
それは、あの大地震ですべてを失った台湾と同様に、あのセーフガードで1パックのシイタケも日本に出せなかった中国きのこ村プロジェクトと同様に、日本普及プロジェクトも根底からひっくり返された。
またしても「運命」のなせる業なのか・・・

しかしこの度の川浪には、悔やむ気持ちがなかったし神を恨む心も持たなかった。それは、今までの大どんでん返しと違って大きな夢に向かっていたからで、もう一つは、どんなに苦しくとも、愛情あふれるマイホームが待っているからである。



冬虫夏草でリベンジが始まった

「ミスター・ロバート、お元気ですか?
日本に私の冬虫夏草を持って入って、そろそろ3年目を迎えます。この間、まるで上等の肉塊に群がるハイエナのように多くの獣たちが集まってきて、むさぼりつき骨まで食い散らかして去ってゆきました。
その影響で多大な損失を出してしまい、大連港通関からも貿易停止措置をくらうこととなりました。ひとえに、私自身の驕りと読みの甘さが原因だったと深く反省しています。
これによって事業も方向返還を余儀なくされ、人民路の大連事務所を縮小し、さらにはNGO事務所も閉鎖することとなりました。
ともに日本とアジアの環境を整備してゆこうと誓い合ったのに、それを裏切る形となり、まことに申し訳ありません。
ミスターは、上海にてご活躍と伺いました。私も必ず再起して、ワイフを連れて上海に会いに行く所存です。どうぞ、これからもお元気にご活躍ください」

ロバート・オーエンと描いた大きな夢は、アジアに広がる冬虫夏草。そしてその先に、アメリカを始めとする大きな世界が見えていた。
でも、それは儚い夢だった。
出直しをしなければならない、もう、これより後に下がることはできないのだから。
東京の活動拠点は諦めて、福岡に戻ろう。福岡の自宅に事務所を置くかたちで経費を切り詰め、大連港通関で派生している貿易債務を一日でも早く解消しなければならない。
そして貿易を再開して、前のようにキノコ菌床の普及と冬虫夏草の輸入を実現させないと、せっかく記した足跡が消えてなくなってしまう。

福岡の活動は、ほんちゃんと二人でスタートした。インターネットを開いて、川浪の冬虫夏草を公開することにする。来る日も来る日も慣れない手つきでキーを叩き、ホームページを作っては公開する日々が続いた。
そして大連研究室で育てた冬虫夏草を小包で福岡まで送らせて、商品スタイルに包装し、インターネットで申し込んでくださる皆さんに配送する。どれもこれも慣れない仕事だったが、情熱の灯はますます大きく燃え盛っていた。
あの当時のこと、インターネットで「冬虫夏草」とか「薬膳」とか検索しても川浪の公開したサイトがトップページに躍り出て、毎日のように40~50に及ぶ商品を作っては販売していた。そのお陰で毎月200~300万円の貿易債務の解消を図ることが出来た。
川浪の仕事はそれだけではなかった、薬用蟻から発生する冬虫夏草に加えて、新種改良にも着手した。きっかけは、保険診療をしない日本最大手の医療機関からの問い合わせである。
「蟻の冬虫夏草より、もっと強力な抗癌活性を発揮できる冬虫夏草ができないだろうか?」
もとより、川浪の目的は「癌に打ち勝つ何か」を見つけることにあったので、一も二もなく、この誘いに応じて研究を再開した。
薬用蟻を培養に使う前に、何度もトライして失敗していた蛹(サナギ)から発生させる冬虫夏草。
もとより、カイコには驚くべきパワーがある。
卵からサナギを作る2ヶ月の間に、何と、その体重が2000倍になるという。しかも、4回も繰り返す脱皮の際には食べないのだから、食べられるときに猛烈に桑葉を食べていることになる。
人間など哺乳動物と比較すると、まことに怖ろしき消化能力と代謝のパワーが備わっているということだ。その根源は、想像を絶する凄いパワーを持つ「酵素」の存在だろう。

さらに、イモムシからサナギになってわずか数日で、まるで姿形が変わってしまう。サナギに存在する強烈な「酵素」によってイモムシ細胞がアポトーシス(システムに沿った細胞崩壊)し、続いて、タンパク合成酵素が超速正確に、溶けたイモムシ細胞を、翅のある蛾のスタイルの細胞に作り替えるシステム。
蛹がもつ天賦のパワーともいうべき「細胞の機序」を冬虫夏草に取り込むことが出来れば、これを食べることによって癌細胞のアポトーシスが可能となり、その直後に正常細胞が合成されるなら、病態は一気に回復するはずである。
これはあくまでも仮説なのだが、実際に食べてみてアポトーシスが実現すれば、かつて世界の誰もが想像したこともないような、痛みも出血も副作用もなく癌細胞が消えるという超自然療法が実現するのである。

もっと改良しよう、薬用蟻をつかった時の気持ちと同じように、より強いカイコを探し求め、同じようにカイコの成分を生薬などと調合して、冬虫夏草の優良培地を創りあげること。
そして野蚕(ある地方の天然カイコ)を栄養源にした新種の冬虫夏草培養基が完成した。


冬虫夏草のインターネット売上げは好調だった。なかにはペットの冬虫夏草をつくりたいと頼んできて、一人に400万円を売るという日もあった。そのせいもあって、大連通関の停止措置が解消されたのは08年である。
インターネットにおける普及が実っていて、輸入開始早々、一挙に鹿児島で、茨城県で、福島県で冬虫夏草の栽培基地が出来た。
抗癌性の高い冬虫夏草の研究を依頼してきた医療機関には、新たな野蚕の冬虫夏草を発芽させて、1キロほど送った。
結果は上々だったという。
医療機関は驚いて「1億円分注文したい」と申し出てくれて、700kgの新種冬虫夏草を提供している。さらに、製薬会社研究室で行った「肝臓癌細胞増殖阻害試験」では、以下のように驚異的な測定値をはじき出している。
肝臓癌細胞群に冬虫夏草溶液を投与(下左)して、2日後には何と85%もの癌細胞が消えている(下右)という結果がでたのだ。
 
冬虫夏草の投与による写真
 
肝臓癌細胞が消えたということを考えてみた。
右写真を精査してみたが、癌細胞が破壊されたのなら多くの細胞断片が有るだろうし、癌細胞が潰されたのなら細胞壁の残渣とプロテアーゼ(細胞内たんぱく質)が確認されるだろう。が、この写真では、とても綺麗に消えているように見える。
ということは、アポトーシスが不能になった癌細胞がアポトーシスしたことになる。
次に、他方の冬虫夏草の能力を調べてみた。 
下のグラフは、上述した医療機関が提供してくれた比較表である。左データ(赤線)が私方の冬虫夏草で、右データは中国産出の冬虫夏草だと思われる。この2例の冬虫夏草を同一条件下で人間の肺癌細胞に投与し、その変化を比較したものである。
私方のものは(赤線)は3日後には95%以上が消滅したが、他方のものはほぼ消滅していない。明らかに、私方の冬虫夏草が優れているという結果を示している。
 
冬虫夏草による癌細胞さ害試験データ
 
私方の冬虫夏草を実際に食べた方から、続々とデータ(参照)が寄せられた。下枠内には、C型肝炎・肝臓癌を患った女性の癌細胞が3ヶ月後に消えたという闘病の記録が寄せられている。
 本人申告記録:切除して残った肝臓に癌が現れた
これだけパワーが上がれば大丈夫だ。今や、癌にリベンジするための用意が整った。

日本で栽培が始まって今年で足掛け18年になる。この間、冬虫夏草150万菌床を日本に導入して全国に普及させるなど、豊富な経験と実績は業界でも突出している。
それに、
あれほど壊れていた身体も、冬虫夏草サプリメントを毎日のように食べるせいなのか、どこも悪くなかった。
川浪には、絶体にやらなければならない義務がある。その1つが、何故に冬虫夏草が凄いのかという科学的解明である。これを知るには、癌を研究して人体のメカニズムを知ることが必要である。

大連の凍てつく階段で昏倒して以来、冬虫夏草の培養に苦心していた折りに、痛む身体をさすりながら何度もチャレンジした漢方医学。
太古の医学書「黄帝内経」を紐どこうとして簡体文と睨めっこをしたものの、巨壁が立ちはだかる思いがして断念。そして冬虫夏草の普及が日本で始まった2004年、2005年と、立てつづけに代金不払いや横領という事件に遭遇、億円を超す未回収金が発生して、自社貿易を断念しなければならない羽目に。

新婚早々のことである。
そんな折、漢方医の家系である大学生のほんちゃんとも日々20時間近く、身体の仕組みについて研究し話し合った。そしていわば二人三脚で、独自の医学が完成したのである。
その理論は「食事と腸内細菌を基本に考えれば、身体の全てが見えてくる」というシンプルなものである。
癌は食事が悪化(食品添加物・好き嫌い)して腸内細菌が衰退することから発症する、という考えが基本になる。
そして義務の第2が、後継者の育成。
「子供が22才になるまでは絶体に元気でいる。子供たちが立派に後継者となってくれるまでは、もちろん現役で、高みを目指して向上し続けねばならない」と。
これを実現するには、己が開いた療法を多くの人に教え、伝えて、習慣づける必要がある。

「癌に打ち勝つ何かを見つける」という父親との誓いから20年を経た今日、ようやく、癌に対するリベンジが始まった。
冬虫夏草が有する強力なパワーなのか、それとも、癌に楽しみを奪われた父親の執念が強い糸となって川浪の運命を操り、そして多くの癌患者を救おうとしているのか。

まさしく、世界から癌を追放する運動を始めよう。

これと同時にスタートしたのが「食事革命」である。
これは、川浪が主宰して創設したフードイノベイション協会が推進するビッグ・プロジェクト。
冬虫夏草の先端胞子部分を「抗癌剤が使えない、手術ができない」と悲しむ患者を対象に無料供給するというもの。総額5000万円におよぶ大規模キャンペーンの実施である。
必ずや、癌にリベンジする。
川浪は固い決意を胸に、毎日を邁進する。 


- 完 -



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冬虫夏草で癌にリベンジ日本編|川浪自叙伝
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